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・・・されど役者的妹尾blog

太く拡げよう僕の細道   since.2006.4.14
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ありがとう、お母さん。



~個人の備忘録的な記事~




5月2日、母の元へ向かいます。

息をしていない母の元へ。

この日、昼から母の状態が危ない、否、危なくない、と情報が錯綜しておりました。

弟が医者に直接連絡しましたら、



「明日まで様子を見ましょう、薬が効いています。今すぐ何かが起こるといった感じではありません。」



とのことで落ち着いたのですが数分後に急遽電話が鳴りました。

作りかけていた宿泊の準備を再開させてすぐに新幹線の切符を用意しました。

ゴールデンウイーク真っ最中でなかなか大変です。



新幹線車内、妙に落ち着いてて。

奇跡を期待するようなところはなく、全てを受け入れる心で母の元へ向かっています。

と言うか、頭が電源を落とした状態で何かを考えていないんですね。

よく書けば<無の境地>に近い、ただ呆然とした感じなんです。

感情もなく、哀しいとか驚くとか、そういう物はなく…だけど心拍数は上がっている?ような。



夜、病院についてHCUに駆け込みます。

霊安室ではなかったのが救い。

この病院は母が私を産み落とした病院です(といってもすっかり綺麗に建て替えられているが)。

もちろん線香臭くない、最新機器が並ぶHCU、のとあるカーテンで仕切られた空間。

シャララっと開くと父と数十分先に着いた弟がベッド脇の椅子に座っています。

すぐに母の顔を。

おおお、なんと安らかな!!

本当に、あらゆる困苦から解放された、素晴らしい顔です。

少し口角も上がっていて、なんなら微笑んでいるようにさえ見えます。



「オカン、ご苦労さんやったなー、しんどかったなー、でももう大丈夫やな! 本当にご苦労さんやったな!」



と頬を擦りつけました。

冷たいんですがね、私の体温で暖かくしてやろうとしばらくそのままにしていました。

あんなに冷静でいるつもりだったのですが、眼から溢れ出る水が止まりません。


数十分後、病院の裏口からストレッチャーに乗せられて外に出ます。

葬儀屋さんの方が準備していて、安置するところまで併走します。





【お通夜】

5月4日。

前日が友引だったので1日おいてこの日に。

何年か前<おくり人>という映画がありました。

あれと同じようなことを最後の母へのプレゼントとして用意しました。

係の方が母の硬直した身体を持ち上げながら隅々まで綺麗に洗ってくれます。

洗髪もとても丁寧に2度洗いしていただき、顔の毛も丁寧に剃ってくれました。

目を閉じた母が洗浄で揺すられているのを見守っていましたが、本当に穏やかで気持ちよさそうに見えて。



「ああ、喜んでいるんだな、気持ちいいのか…よかったな、オカン!」



と何度も声をかけてしまいました。

身体を拭いてもらった後、父親が選んだ絹の白装束(襟の部分が金色に飾られている)に着替えさせていただき、脚絆、ずたぶくろ、三途の渡し賃の六文銭を胸へ。

お化粧もし直してもらい…と言ってもこの化粧は下手くそでしたが…すっかり綺麗に身支度をしてもらいました。

お通夜です。

一晩一緒に過ごしました。

弟夫婦と共に。

後悔しない別れなんてあるはずもなく。

怒鳴ったこと、怒ったこと、面倒だと感じたこと、最後に母の出身校の校歌と私の出演している映像をDVDにしたのですがそれが見せられなかったこと、死に目に誰も立ち会えなかったこと…全て後悔です。

もっとできましたし、動けた。

自分を責めて苦しみから逃れようとしてしまう…これは想像していました。

私の人生、それの繰り返しですから。

やはり分かっていても自分を責めてしまいます。

悪くない、仕方ない、ということが分かっていても。

弟とそんな話をしながら母の眠る部屋でまんじりと過ごしました。

シャワーを浴びさせてもらい、ドライヤーで頭を乾燥させます。

このドライヤーをくるくるとかたづけるとき、同じような重い気持ちの人が重い手で棚にしまったんだろうなーと。



目が覚めたら夢で会って欲しいのですが普通に重苦しい朝は訪れます。

弟が式の段取りやお返し、お花のことなどを打ち合わせています。

腹の中が重くてドロドロした、全く気持ちのよくないもので満たされています。

この気持ち悪さはいつまで続くんだろう…


久香さん葬儀




【告別式】

5月5日。

母が、推定60才の頃の、お気に入りの写真を祭壇に用意してもらいました。

笑ってる。

めっちゃ笑ってる。

後年の、入退院を繰りかえす頃の顔が焼き付いていましたが



「ああ、そうだ、この顔だ!」



私たちが一番慣れ親しんだ顔。

164cmと、昭和一桁の生まれのわりに高身長の母も、後年は骨折やアルツハイマー、内臓疾患などで背中が曲がっていました。

ですがこの写真の時はでっかいまんま。

棺の中の母も全く苦しくない穏やかな眠り顔ですし、ピンと背筋が伸びて式場を歩き回っているのを感じるんです。

しかもめっちゃ喋りながら。



「ちょっとアンタ、何してんのん! 男ならもっとシャキッとしい!」



頭の中に母の声がガンガン響いています。

お坊さんの読経を意味も分からず聞きながら母の遺影を見つめます。

ちょっと私も笑ってしまいます。

あまりにもご機嫌で、痛みから解放された空気が伝わってくるから。

ところが何のスイッチか分からないけど、誰かがどこかで押すんですね…するととめどもなく眼から水が溢れてくるんです。

どこに貯めているんだろう? って不思議なくらい。

それじゃ後ろ髪引かれて母が可愛そうってんで必死にこらえるんです。

この不毛なルーティーンを延々と繰り返して。


母を火葬場に運び、棺の中に沢山の写真、孫と私からの手紙、お経本や土産に買った数珠、人形…縁起の良さそうな可愛らしい物を入れてやりました。

その上から花で埋め尽くし、別れの挨拶。




「わしと弟を産んでくれて有り難うな、お母さん。」



と、おでことおでこをくっつけて幼少の頃の呼び方で小さく叫びました。

父は寡黙で感情を外に出さない人。

でもこのときは優しく母の頬を撫でながら、



「世話になったな…。」



と絞り出すように呟きました。

数分後に気づくのですが、私、このときに胸に挿していたまん丸のメガネを棺の中に落としたようなんです。

胸ポケットに挿していたのですが、するりと。

大して動いていない動線、どこをどう探してもホールの人も分からず、思い当たるのはそのときだけ。



「幸延、アンタちょっとこれ貸してーな!」



って持って行ったんでしょうかね。

うん、それならいいや。



<煙が目にしみる>という作品を舞台で作ったことがあります。

お話に出てくるように私も火葬場の外に出て辺りを一周歩きました。

ですが、今では当たり前ですが<煙>は出ません。

全然目にしみない、晴天の空の青さがやたら眩しいだけです。

役90分後。

お約束の<喉仏>の説明を受けながら骨壺に母の骨を詰め込んでいきます。

真言宗では49日間、多くの神に守られながら修行をするそうです。

その後で天に行けるのだそうです。

49日間私も一緒に読経をしようと小さな骨壺に分骨してもらい東京に持ち帰りました。

納骨の際に一緒に戻してあげようと思います。




家族葬で小さくこじんまりと数人の親戚だけ集めて見送りました。

それでも悲しんでばかりはいられず、料理の注文や献花、弔電の処理などなど事務的にやらなければならないことがてんこ盛りで。

しばらくは変な目に見えないスイッチに怯えながら生活をすることになるんでしょうが、それはまあ。




母はこの数年随分と弱り、身体は会う度に衰えていきました。

しかし口は達者で、ハキハキとよく喋ります。

寝たきりになるかもしれないけど、何だかんだと文句を言いながらも、まだまだ生きて行くもんだと高をくくっていました。

が、本当に突然、そのときは訪れるんですね。

延命措置は家族で話し合って断っておりました。



「呼吸が止まっています。」


と連絡があった時点で、もうあちらに行っていたんですね。

クドいようですが、とにかく安らかな眠り顔でした。

救われました。

私の子も母と対面したとき、



「ばあばがとっても喜んでるよ、父さん! 全然苦しくなくて、自由に歩けて、痛くもなさそうだよ! 退屈じゃなくてめっちゃ嬉しそう!」



と。

出来た子に育ってくれたのか本当にそう感じたのか…どちらにしても救われます。



久香さん、政明と



誰しも通る道、世の習い、理(ことわり)。

親よりも先にしに、こんな思いをさせずに済んだのがギリギリの親孝行だったかもしれません。

事故で危ない目に遭って心配させたり、不安定な仕事に就いてやきもきさせたり、怒鳴り散らしたり偉そうなことばかり叫んだり…どうしようもないクソガキでした。

謝りません、先に進むために。

有り難うという感謝だけを大きく心に留めておきます。




「男は母親が死んでからがホンモノの漢。」




だそうです。

男らしく振り切ってガンガン行こうとは思うのですが、気持ち悪い物が腹から抜けない、泥水が胃に充満してる。

私はお母さんっ子だったんだろうなー、この弱さは何だろうなー…でも真正面から受けて戦ってやりますさ。



享年数えで87才。

明るくて、怖くて、よく喋って、天然で…私にとってはこれ以上ない最高の母親でした。

有り難う、お母さん。

安らかに眠ってください。








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2 Comments

妹尾 says...""
へから夫人さん
うん。有り難うね、いろいろと。スマホの留守番電話に入っている、一番新しいのを聞きました。無言で、息遣いだけ。
使い方も分からなくなっていたのに、息子と話したい一心で触っていたんだろうなと。もっともっと向き合ってあげれば良かった。後悔しか残っていないです。悔しいよ、ホントにね。
2019.05.07 20:14 | URL | #mMj3k3yk [edit]
へから夫人 says..."きっと安らかな世界で"
この世に、おっとこまえの大きな男性を二人生み落としてくれた女性ですね。
とっても素敵な写真です。

どうしても、去年母を見送ったときのことを思い出してしまいまして、涙があふれてしまいます。
私は、一人で看取ってしまったんですよ。
一番遠くから駆け付けた私が、なぜか成り行きでその瞬間を迎えてしまったのです。
手を握り締めたまま、呼吸がなくなって、心電図が一本の線になる瞬間のあの気持ちっていうのは、
初めての経験で、どう表現したらいいのか。まるで表現する言葉がみつかりませぬ。

兄がね、いまだに母の遺影に手を合わせられない。「50過ぎたオッサンが何をしとるんや!」と
突っ込みどころ満載ですが、せめて、初盆までには受け入れてね、と思いつつ。
母が終活で用意されていた葬儀のプランが、10年前の見積もりで同じプランがなかったり、「こうしよう、ああしよう」と兄弟3人で意見が分かれて、なかなか決まらなくて・・・。それも、なんだか思い出の一部になりつつあります。
「ありがとう」それしかないです。
本当に急なことで、なんにも何の心構えもなかったけど、
自分の葬儀に使う遺影用の写真、思い出の映像を作ってもらうための写真などを、きちんとまとめて1つの箱に入れていたあたり、最後まで母には驚かされました。
ただ、父より早く自分が逝く想定が全くなかったようで、随所に突っ込みどころも残してくれたあたり、母にはどうしても、追いつけない、かなわないと思わせてくれました。

残された父を気にかけつつも、もう初盆の段取りが始まってます。
まだまだ、実感がないし、ちょっと聞きたいことがあっても、聞く相手がいない。
携帯電話に登録された母の名前も、きっと消すことはないと思います。

結局、兄、姉の許可をもらって持って帰った小さな遺影は、飾る勇気も、箱を開けてみる勇気もないままで、そんな私もまだ遺影に手を合わせられない兄と、根本は同じなのかもしれないな、と思ってしまいます。
2019.05.07 19:11 | URL | #no8j9Kzg [edit]

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