・・・されど役者的妹尾blog

太く拡げよう僕の細道   since.2006.4.14
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発見!妹尾的公式!




最近、考えていたことが少しスッキリしてきたので書いてみます。

へんてこりんに思える記事かもしれませんので気分悪い方は読まないで下さいませ。






ガキの頃、私は情緒不安定な時がありました。

思春期…とか思えば普通のことかもしれませんが、今でもはっきり覚えています。



小学5年生の頃。

何かのきっかけがあったわけではないのですが、毎日泣いていました。

毎日っていうか毎晩。

死ぬことと死なれることを想像して。

自分が死ぬこと、そして大切な家族や友人が死ぬこと。

目の前からいなくなってしまう恐怖。



「なんでこんなに恐いのに産まれてくるんだろう、なんで 絶対に、人間て100%死ぬのに産まれてくるんだろう。」


本当にずーっと考えては恐くて、考えては恐くて泣いていました。

親に聞きましたが明確な回答は得られず。






あれから約40年。

現在の私、実は死ぬことをよく考えます。

死ぬこと…っていうか死そのものを。

泣きはしませんし、決して情緒不安定ではありませぬ!


ガキの頃とね、少し違う処理の仕方が出来ています。

死ぬ恐怖というのは確かにあるのだけど、それは突き詰めると自分の中の何かが無くなってしまうことじゃなくて、外に向けた念なんだろうなって。

私の周りにいる人への影響って言うか、悲しませることとか終えていない仕事とか、果たせていない使命とか。


凄く切なくて辛くて、頭がヘンになりそうなんだけど、もしも自分が一人ぽっちで生きていたらそういうことはないのかしら?って。

自分の命が尽きて、(まあその後どうなるかは知らないけど)それでハイ、おしまいよ…だったらそんなに辛くないのかもしれない。

悲しくないのかもしれない。

生きているウチの<悲しい>とか<辛い>とかの想像って、自分以外のモノ(人・事)に対する執着なのかな?と。



もっと言えば、そういった感情っていうのは遺された人目線のモノかなと。

私という人間が抹消されて、遺った人が悲しむのを想像して辛いのかも。




過去、多くの大切な命と別れました。

その度にめちゃくちゃ泣きました。

悲しみました。

その心の痛みを知っているから、自分の周りにいる人の心の苦しみを想像してしまうんです。

そしてそれが可哀相、気の毒と思ってしまう。

そんな痛みを与えるのはイヤだし楽しくないし、それが恐いんじゃないかなって。

死に対する畏れ。



「ああ、本当に良かった、清々した!」


って思われても、私は何も感じないしどうでもいい…けど、私の廻りに遺された人にいろんな感情が起こってしまうもんね。

それも気の毒だから生きているウチに善き行いをせにゃいかんのだね。



「あの人いなくなって静かにはなったけど、やっぱ楽しい思い出がたくさんだわね!」



って言われた方が私の周りで遺された人が嬉しいだろうよ。

天国1

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<死に対する妹尾の公式>

●真偽はべつとしてとりあえず死んだら自分の感情はゼロだから悲しくない
   ↓
●遺された人は悲しい(体験上)
   ↓
●大切な人が悲しむのは私が悲しい
   ↓
●死んでるから悲しませたことを挽回できない
   ↓
●自分も廻りも悲しませないようにしたい
   ↓
●周りを善い気持ちにさせる
   ↓
●それって生きているウチじゃなきゃ出来ないじゃん



周りが喜ぶことが死の恐怖を減らすことなんだねって。


*******************************************


そんなことが思い付いてしまってね、泣くほど恐くはないんだけど。

大らかにね、生きることを楽しんでさ。

他人に本当に迷惑をかけないように、でも自分らしく生きていこうと思ったりしてるのね。




いろんな命の亡くし方があると思うけど、多分間違いなく私は(一般的な日本人は)幸せな部類のそれだと思う。

自分の思っていない生き方を強いられて、自分の望まない最期を遂げるんじゃないはずだから。

楽しませてナンボ!の世界で仕事が出来ている自分を幸せに思うし、公私ともに最期までそうありたいなーと。






心がちぎれそうになってもね。

美しい景色を観れば心はすーっと広がるだろうし。

草原の空は青いし、海に行けば気持ちいいし、朝陽も昇るし。

笑えるし食べられるし眠れるし。

だから大丈夫だよって言う。



個人的にはね。

妹尾が消えても喜んでもらえる作品が遺っていることは本当に有り難いと思うし。

きっとこのブログも遺るし。

遺された人の悲しみを減らしたいから。

それはすなわち自分の恐怖を消すことなんだなって思えてきたから。


今の自分だけの結論。


死ぬこととは活きることと見つけたり!


天国2







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3 Comments

seitaro says...""
生き死にについては、とても難しいテーマだと思いますが、僕は、あまり死を恐ろしいと思ったことも悲しいと思ったこともありません。気持ちが冷めているだけなのかもしれませんが、もちろん自分もですが、その人が満足のいく人生だったのなら、悲しむ必要はないと思うのです。

人は人生において2度の死を迎えると言いますよね。1度目はもちろん、肉体の死。2度めは精神の死。生きている人がその人のことを忘れてしまう時。

周りの人の悲しみまで考えてあげられる妹尾さんは、きっと優しい人なのでしょう。
でも、妹尾さんの場合は「作品」というより多くの足跡を残せる環境にあるのですから、ガシガシ足跡残していきましょう!
みんなの心に生き続ける限り、思い出はみんな楽しく、美しいと信じています。
2013.04.04 09:41 | URL | #- [edit]
pikmin says...""
虎は死して皮を残し、人は死して名を残す、でしょうか。
役者さんは作品が残りますよね(^-^)。
で、余程のことがない限り、残るのは良い思い出だと思います。
例えそうでなかったとしても(笑)、時が経てば笑って話せる
それはそれで、きっとよい思い出になるのでは・・・とwww


身内が亡くなっても最後のお別れはいつも柩越しでしたが、
数年前、伯母が亡くなった時、初めて遺体に触れました。
よく氷のように冷たいとか言いますが、そんなの比じゃないくらいの
ちょっと変な例えですが、その頬は、長時間寒風に晒された金属のような
心まで凍ってしまいそうな冷たさでした。
人が死ぬってこういうことなんだ・・・・・と、結構な衝撃でした。
自分の意識は何処へ行ってしまうんだろう?なぁ~んて考えは一瞬でブッ飛びました。
何気に寝ている間に逝ってしまいたい願望はありますが・・(>_<;)

誰が言ったのか、どこで聞いたのか覚えていませんが・・・・・
流され過ぎず、逆らい過ぎず、己の心を見失わず、常に穏やかな心で在りたいと願う(思う?)。
響いたまでは良かったのですが、留め置いた場所も解らない所で沈黙しております(笑)。

2013.04.03 00:19 | URL | #- [edit]
へから夫人 says..."妹尾さん死んだりしたらものすごく悲しいわよ。泣くわよ。泣き続けるわよ。"
小学校のそれくらいとの時って、私も同じように死ぬのが怖かった記憶がものすごくあります。
ターミネーターのような世界になっても、自分だけは絶対ゴキブリのように生き残ってやる!って思っていました。
とにかく、長生きしたい。
一秒、一秒、死に近づいているっていう事実を自分の中で消化できなくて、怖くて怖くて・・・。

大人になると、長生きするのが本当にいい事??なんて考えるようになります。
迷惑かけたくないからです。
息子とかにね。

逆に、息子たちが立派に自立するまでは、絶対死ねないな。という気持ちもあります。

家族に先立たれる悲しみなんて、計り知れないし想像できない。
想像することからすら逃げたくなります。

でも、自分が既に巣立ってしまった家族(自分の親)が死ぬことは、それなりに受け止められる気がします。
そうやって、世代交代ってするんだろうな。って、そこだけはドライに考えてしまったり。


私の作品って・・・・(美術部だった記憶もあるけど)大した作品作った記憶もないけど、何を遺せるんだろうなぁ。
旦那との共作ですが、息子たちを、とりあえず、育てることに一生懸命ですがな。
親バカレベルでは最高傑作ですよ。
2013.04.02 23:19 | URL | #no8j9Kzg [edit]

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