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・・・されど役者的妹尾blog

太く拡げよう僕の細道   since.2006.4.14
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都会の電車、世にも奇妙な


「祖国への挽歌」稽古も佳境を迎えてきました。

本番と同じ大きな稽古場に引っ越して、直前の一週間を過ごします。

なので気分転換を兼ねて軽く打ち上げ的に。

ま、そこでは侃侃諤諤盛り上がりまして、意気盛んにお開き。



そ、し、て、その帰り道の電車の中でとても奇妙なことを体験するのです。

夜中の電車
そんなに混んでいません。

始発駅なのもあり、座席に座れました。

私の向かい側にはちょっとリッチな感じなご夫婦。

多分私と同じくらいの年恰好。

私の左には酔っ払って完落ちしているサラリーマン。

右側には若い女性。

その女性…髪が長く、更に向こうを向いているので顔は見えません。

わざわざ横向いて覗かないし。

するとその女性、スマホで電話を始めました。

相手は彼氏のように思います。

ヒソヒソ話していたのですが、何か喧嘩が始まった模様。

声のボリュームも大きくなっていきます。

かなり大きい。

私の左隣のサラリーマンが目を覚まして何事かとキョロキョロしてます。

またすぐ寝たけど。

向かいのご夫婦もいらついたような顔で右隣の女性をにらみ始めました。

しかし当の彼女は全く気づいてません。

更にエスカレートしてきて、半泣きになりながらスマホに怒りをぶつけています。



「ちょっとなんで、なんでなんでー!何言ってんの、意味がわからない!それ絶対私のことバカにしてるんでしょ?もういいよ、なによ、ふざけないでよー!」


こんな内容を何度も繰り返してます。

ボリュームを上げながら。

睨みつけるご夫婦、隣で腹立つけど我慢する俺。

他の客の視線も集まっています。

集まってるんです、概ねこちらの方を。

彼女方面…に、私も含まれてる。

ざっくりここらへん。

んで、それをトータルすると、



「おい、その女の隣にいるお前!(私)そこに座っているのが運の尽き、隣の女を黙らせろ!」



なんですね、これが。

いやいやいや、自意識過剰じゃなくてそーなの。

ほんとマジで。

だって、悪意の対象に私が入ってるんですもの。

私、一部の人はご存知かと思いますが…若い頃は毎週


「怒る!」


って叫んで仕事してたことがありました。

怒る仕事。

で、それに疲れた私はもう怒ることをやめようと心に誓っているんですね。

おまわりさんのお世話になるのも嫌だし。

だから嫌だったんだけど視線の集中(特に正面のご夫婦のそれ)に抗えず、右の女性を見て口を開きました。



「ね、ちょっとうるさいよ、もう少し静かにして!」


10%だけ怒気をはらませました。

次の瞬間、周りの視線が一斉に私に向かいました。

そしてまた次の瞬間、今度は英雄を讃える眼に。

全員心の中で拍手している音が聞こえます。

私は大きな仕事をやり終えた安心感に包まれました。

一方、その女性、私の方を見ることもなく電話に向かって言い放ちました。



「ねえ、どーしてくれるのよ、今怒られた!めっちゃ怒られた。静かにしろって、どーすんのよ!」



ああ、これはあかんタイプやわ、本物には取り合わんようにしようと。

私は横の大声を我慢してればいいんです。

大きな仕事はしたのだから。

また正面のご夫婦は睨み始めてますが、今度は女性単体です。

もー、知らんわポーズの私。

するとその女性、スマホの会話を突然中断させ、いきなり電話を切りました。

おもむろに左(つまり私の方)をガバッと振り返ります。

髪がふわわわっと翻して私の頬を叩くくらい。



「すみませんでした!わたし、大きな声で話してましたかっ!?」



あああ、酔っ払いです。

これは…自分を見ているのかも、否、見させられているのかも…などと考え、取り敢えずはシカトしましたら、



「ほんとーっにっ、申し訳ありましぇんでしたっ!わーたーしー、酔っ払ってますかあああ?」



って覗き込んできます。

20歳そこそこ?くらいの普通に上品な感じの女の子。

ケバくないし、なんならちょっと可愛い。


「…ああ、はい、そのようですね、もう大きな声で謝らなくていいですから。大丈夫ですよ。」



「あのー、私い、えっおー、ごめんなさい!!」



正面のご夫婦もプッと吹き出してて。



「えー、何でわらうんですかあー?私変なことしましたかー?」



ご夫婦、イヤイヤと顔の前で手を振って否定。

納得した彼女、今度は私に



「あのぉ、今私就活中でぇ。どーしてもCAになりたいんですー。あ、因みに大学は〇〇女学院(超優秀)でぇす。でも、こないだ一番行きたいところ落ちちゃったんです。だからヤケクソで酔っ払っちゃってぇ。」



泣き出します。



「ああ、そうなんですね、他には受けなかったんですか?」



「一社は内定もらいましたぁ。A〇Aなんですけどぉ、ちょっと私に向いてない社風だと思ってるんですー。」


「すごく十分じゃないですか?超一流ですよ?」


「え?じゃあそっちに行けばいいと?お兄さんは私がCAに向いてると思ってるんですかあ?」


「さっきは怒りましたが、今はこうやってあなたの話を聞いてますよ。あちらのご夫婦も熱心に聞いてます。人を惹きつける力があるのだとすれば、客室乗務員はとても向いてるんじゃないですか?」


ご夫婦に尋ねています。


「マジですか?ホントにそう思いますかぁ?」


ウンウンと頷くご夫婦。



「ええ?え、え、え、そーなんどぁ。もっと話が聞きたいですぅ。お兄さんはどこの駅まで行くんですか?私はK駅なんですけど。」


「私はS駅です。ずっと先ですね。」



「え、え、やだやだ、もっと話聞いてもらいたい!」



顔をくしゃくしゃにして、目の周りは落ちかけた化粧と涙でおかしなことになってて。



ご夫婦に、


「どこで降りるんでしゅか?」



「僕たちは次で降りるよ。今度からはもっと静かに話そうね。」


と彼女に伝え、そしておもむろに私をを見つめて



「あとは頼みましたよ!」


みたいな感じで電車を降りていかれました。



「お兄さん、もっとお話がしたいです。私はどうすればいいのかわからなくて。」


「明日、目と酔いが覚めたらすぐに良い答えが見つかると思いますよ。」



って。

じーっと聞いていた周りの人たちも、ウンウンと頷いています。



「はい、あなたが降りる駅に到着です。飛行機で会いましょうね、頑張ってください。」


「え、うそ、やだやだやだ、うわわわ」



と彼女を降ろしてあげて終幕。

深夜、都会の電車内で起こった数人のためのミニドラマ。

知らないお客さんたちと共有した、怒りから始まった人生相談、からの酔っ払い女の子の不思議ワールドっていうお話。


ちゃんちゃん!







































































2

ありがとう、お母さん。



~個人の備忘録的な記事~




5月2日、母の元へ向かいます。

息をしていない母の元へ。

この日、昼から母の状態が危ない、否、危なくない、と情報が錯綜しておりました。

弟が医者に直接連絡しましたら、



「明日まで様子を見ましょう、薬が効いています。今すぐ何かが起こるといった感じではありません。」



とのことで落ち着いたのですが数分後に急遽電話が鳴りました。

作りかけていた宿泊の準備を再開させてすぐに新幹線の切符を用意しました。

ゴールデンウイーク真っ最中でなかなか大変です。



新幹線車内、妙に落ち着いてて。

奇跡を期待するようなところはなく、全てを受け入れる心で母の元へ向かっています。

と言うか、頭が電源を落とした状態で何かを考えていないんですね。

よく書けば<無の境地>に近い、ただ呆然とした感じなんです。

感情もなく、哀しいとか驚くとか、そういう物はなく…だけど心拍数は上がっている?ような。



夜、病院についてHCUに駆け込みます。

霊安室ではなかったのが救い。

この病院は母が私を産み落とした病院です(といってもすっかり綺麗に建て替えられているが)。

もちろん線香臭くない、最新機器が並ぶHCU、のとあるカーテンで仕切られた空間。

シャララっと開くと父と数十分先に着いた弟がベッド脇の椅子に座っています。

すぐに母の顔を。

おおお、なんと安らかな!!

本当に、あらゆる困苦から解放された、素晴らしい顔です。

少し口角も上がっていて、なんなら微笑んでいるようにさえ見えます。



「オカン、ご苦労さんやったなー、しんどかったなー、でももう大丈夫やな! 本当にご苦労さんやったな!」



と頬を擦りつけました。

冷たいんですがね、私の体温で暖かくしてやろうとしばらくそのままにしていました。

あんなに冷静でいるつもりだったのですが、眼から溢れ出る水が止まりません。


数十分後、病院の裏口からストレッチャーに乗せられて外に出ます。

葬儀屋さんの方が準備していて、安置するところまで併走します。





【お通夜】

5月4日。

前日が友引だったので1日おいてこの日に。

何年か前<おくり人>という映画がありました。

あれと同じようなことを最後の母へのプレゼントとして用意しました。

係の方が母の硬直した身体を持ち上げながら隅々まで綺麗に洗ってくれます。

洗髪もとても丁寧に2度洗いしていただき、顔の毛も丁寧に剃ってくれました。

目を閉じた母が洗浄で揺すられているのを見守っていましたが、本当に穏やかで気持ちよさそうに見えて。



「ああ、喜んでいるんだな、気持ちいいのか…よかったな、オカン!」



と何度も声をかけてしまいました。

身体を拭いてもらった後、父親が選んだ絹の白装束(襟の部分が金色に飾られている)に着替えさせていただき、脚絆、ずたぶくろ、三途の渡し賃の六文銭を胸へ。

お化粧もし直してもらい…と言ってもこの化粧は下手くそでしたが…すっかり綺麗に身支度をしてもらいました。

お通夜です。

一晩一緒に過ごしました。

弟夫婦と共に。

後悔しない別れなんてあるはずもなく。

怒鳴ったこと、怒ったこと、面倒だと感じたこと、最後に母の出身校の校歌と私の出演している映像をDVDにしたのですがそれが見せられなかったこと、死に目に誰も立ち会えなかったこと…全て後悔です。

もっとできましたし、動けた。

自分を責めて苦しみから逃れようとしてしまう…これは想像していました。

私の人生、それの繰り返しですから。

やはり分かっていても自分を責めてしまいます。

悪くない、仕方ない、ということが分かっていても。

弟とそんな話をしながら母の眠る部屋でまんじりと過ごしました。

シャワーを浴びさせてもらい、ドライヤーで頭を乾燥させます。

このドライヤーをくるくるとかたづけるとき、同じような重い気持ちの人が重い手で棚にしまったんだろうなーと。



目が覚めたら夢で会って欲しいのですが普通に重苦しい朝は訪れます。

弟が式の段取りやお返し、お花のことなどを打ち合わせています。

腹の中が重くてドロドロした、全く気持ちのよくないもので満たされています。

この気持ち悪さはいつまで続くんだろう…


久香さん葬儀




【告別式】

5月5日。

母が、推定60才の頃の、お気に入りの写真を祭壇に用意してもらいました。

笑ってる。

めっちゃ笑ってる。

後年の、入退院を繰りかえす頃の顔が焼き付いていましたが



「ああ、そうだ、この顔だ!」



私たちが一番慣れ親しんだ顔。

164cmと、昭和一桁の生まれのわりに高身長の母も、後年は骨折やアルツハイマー、内臓疾患などで背中が曲がっていました。

ですがこの写真の時はでっかいまんま。

棺の中の母も全く苦しくない穏やかな眠り顔ですし、ピンと背筋が伸びて式場を歩き回っているのを感じるんです。

しかもめっちゃ喋りながら。



「ちょっとアンタ、何してんのん! 男ならもっとシャキッとしい!」



頭の中に母の声がガンガン響いています。

お坊さんの読経を意味も分からず聞きながら母の遺影を見つめます。

ちょっと私も笑ってしまいます。

あまりにもご機嫌で、痛みから解放された空気が伝わってくるから。

ところが何のスイッチか分からないけど、誰かがどこかで押すんですね…するととめどもなく眼から水が溢れてくるんです。

どこに貯めているんだろう? って不思議なくらい。

それじゃ後ろ髪引かれて母が可愛そうってんで必死にこらえるんです。

この不毛なルーティーンを延々と繰り返して。


母を火葬場に運び、棺の中に沢山の写真、孫と私からの手紙、お経本や土産に買った数珠、人形…縁起の良さそうな可愛らしい物を入れてやりました。

その上から花で埋め尽くし、別れの挨拶。




「わしと弟を産んでくれて有り難うな、お母さん。」



と、おでことおでこをくっつけて幼少の頃の呼び方で小さく叫びました。

父は寡黙で感情を外に出さない人。

でもこのときは優しく母の頬を撫でながら、



「世話になったな…。」



と絞り出すように呟きました。

数分後に気づくのですが、私、このときに胸に挿していたまん丸のメガネを棺の中に落としたようなんです。

胸ポケットに挿していたのですが、するりと。

大して動いていない動線、どこをどう探してもホールの人も分からず、思い当たるのはそのときだけ。



「幸延、アンタちょっとこれ貸してーな!」



って持って行ったんでしょうかね。

うん、それならいいや。



<煙が目にしみる>という作品を舞台で作ったことがあります。

お話に出てくるように私も火葬場の外に出て辺りを一周歩きました。

ですが、今では当たり前ですが<煙>は出ません。

全然目にしみない、晴天の空の青さがやたら眩しいだけです。

役90分後。

お約束の<喉仏>の説明を受けながら骨壺に母の骨を詰め込んでいきます。

真言宗では49日間、多くの神に守られながら修行をするそうです。

その後で天に行けるのだそうです。

49日間私も一緒に読経をしようと小さな骨壺に分骨してもらい東京に持ち帰りました。

納骨の際に一緒に戻してあげようと思います。




家族葬で小さくこじんまりと数人の親戚だけ集めて見送りました。

それでも悲しんでばかりはいられず、料理の注文や献花、弔電の処理などなど事務的にやらなければならないことがてんこ盛りで。

しばらくは変な目に見えないスイッチに怯えながら生活をすることになるんでしょうが、それはまあ。




母はこの数年随分と弱り、身体は会う度に衰えていきました。

しかし口は達者で、ハキハキとよく喋ります。

寝たきりになるかもしれないけど、何だかんだと文句を言いながらも、まだまだ生きて行くもんだと高をくくっていました。

が、本当に突然、そのときは訪れるんですね。

延命措置は家族で話し合って断っておりました。



「呼吸が止まっています。」


と連絡があった時点で、もうあちらに行っていたんですね。

クドいようですが、とにかく安らかな眠り顔でした。

救われました。

私の子も母と対面したとき、



「ばあばがとっても喜んでるよ、父さん! 全然苦しくなくて、自由に歩けて、痛くもなさそうだよ! 退屈じゃなくてめっちゃ嬉しそう!」



と。

出来た子に育ってくれたのか本当にそう感じたのか…どちらにしても救われます。



久香さん、政明と



誰しも通る道、世の習い、理(ことわり)。

親よりも先にしに、こんな思いをさせずに済んだのがギリギリの親孝行だったかもしれません。

事故で危ない目に遭って心配させたり、不安定な仕事に就いてやきもきさせたり、怒鳴り散らしたり偉そうなことばかり叫んだり…どうしようもないクソガキでした。

謝りません、先に進むために。

有り難うという感謝だけを大きく心に留めておきます。




「男は母親が死んでからがホンモノの漢。」




だそうです。

男らしく振り切ってガンガン行こうとは思うのですが、気持ち悪い物が腹から抜けない、泥水が胃に充満してる。

私はお母さんっ子だったんだろうなー、この弱さは何だろうなー…でも真正面から受けて戦ってやりますさ。



享年数えで87才。

明るくて、怖くて、よく喋って、天然で…私にとってはこれ以上ない最高の母親でした。

有り難う、お母さん。

安らかに眠ってください。








2

ゴリゴリっと乗り越える。オカン、有難う!



母が逝きました。

想定内、想像通り、折り込み済み、です。

数年前から。

私のような出来損ない、世の中を舐めてふざけて斜めに見下していたクソガキを4.050gで産み落とした女。

いろんなドラマを見せられたし、いろんな話を聞かされ、嵐のような人生を送ってきた女性でした。

映画「火垂るの墓」を観るたび、


「あの子お同い年や。涙無くして見れんなー、全くおんなじやわ。」


って言ってた戦争体験者です。

激動の昭和を駆け抜け、そんでもって働き抜いた立身出世の人。

優しいけど気も荒く、勢いとプライドと感情だけで生きた女です。

世の中でよく言われる、母の立派な一言なんてほぼありません。

頭をラジカセでなぐられて血を吹き出したり、大切なものを踏み壊されたり、そらもう情緒不安定な様を散々見せつけられてきました。

メスゴリラと隠語を使って母を呼び、兄弟で震える日々を過ごしていたものです。




私が18歳で東京に出してもらい…その頃は親から逃げられる一心で喜び勇んでおりましたがその親の年齢になるとまた違った見方があって複雑な思いに駆られております。



さて、呼吸が止まったからと岡山から呼び出され。

詳細わからないので弟と情報を集めましたらやはり何のことはない、医者の言葉通りで。


「延命治療は、本人の望むところではない。」


とサインをしておりましたのでそれもなく。

死に目に会うことはできませんでしたが折り込み済み。

ずーっと駆けつける新幹線でも涙も流さず、また感傷を吹き飛ばしていましたが…母の居るべき部屋に入って対面をしたらやはり無理でした。

綺麗に、とても綺麗に化粧してもらってて。

痛みや苦しさや、持っていた全ての困苦をスッキリさせたような顔。

抱きしめて頬をすり寄せましたら分かってはいるけど冷たい。

そして当たり前だけど固い。

いいんです。

役者をやった時からこうなるのは分かっていたし覚悟をはありました。

自分の頬の温もりを母のそれに伝えようとしばらく抱きしめていましたら、なんとなく暖かくなってきたような気がして。


「オカン、よう頑張ったなー、偉かったぞー!楽しい昔の仲間と会えてるか? 俺らのことは気にするなよー!」



って。

妙にしょっぱい涙が止まりません。

何を書いてるのかもはっきりしないのですが、偉大な母に愛と感謝と労いの言葉をかけてあげたいんです。

すみません、変なブログで。

本当に有難うな、オカン。

愛と感謝とお礼を抱きしめて生きていくよ。

あ、一つ思い出した…ガキの頃言うてたなぁ…


「覚えときや、人間に一番大切なものはな、愛 やで。愛ほど尊いものはないんやでぇ。」


多分その場の勢いだったのでしょうが、夏休みの宿題で読書感想文のヒントをもらった時に言われた言葉です。

有り難く頂戴して、その感性を語り伝えたいと思います。



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