・・・されど役者的妹尾blog

太く拡げよう僕の細道   since.2006.4.14
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「将門」来たる



11月ですね。

犬の散歩などまだまだ半袖で頑張っておりますが、近所の小学生に指さされること多しく。



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SNSとは一体なんぞや? みたいなことを問われる事件がありましてこれを機に多くの人がネット社会とのつながり方を再考し始めているようです。

とてもいいこと。

ついつい弱音や値がなことも書いてしまいそうになりますが、そのときには既に蝕まれているってことなんでしょうね、ネットに。

書いても解決することなんてほとんどないでしょうに。

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さ。

夏の終わりをそろそろ自覚せねばならんという毎年憂鬱になるこの季節、皆様はいかにお過ごしでしょうか。

私は新事業に足を突っ込み初めましてですね、(まあこれについては近く報告させていただきますが)その体制も整いましてですね、お仕事を頑張っていっているわけでございます。

そらもう知らないことだらけなので大忙しなのですが、ノートパソコン一台とデスクトップのパソコンも一台仲間入りさせました。

どちらのパソコンも頭いいんですねー、サクサク動くの。

どうせだからと清水(寺)ジャンプして高性能なものをチョイスしましてですね、長く使わせていただこうと。

これまで使っていたPC,高さか将軍が組み立ててくれたもので「吉宗」という名前でした。

今度のも「信長」とかいろいろ考えたんですが、やはり私が平家の末裔…ということで「将門」と命名したんですね。

これも将軍が組み立ててくれて。

なんじゃらかんじゃらとても頭の良いものに仕上げてくれました。

将軍、あざす!

周辺機器も…で絵や写真をたくさん扱うのでね、コピー複合機も新調して。

一気に数千件にFAXしたり、ファイル転送してもらったりの契約とかも。

張り切ってお仕事せないかんねーとわっしょいわっしょいやっております。

ここから暫くはPhotoshopやIllustratorのお勉強をしなければなりません…いとをかし。

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もちろん、個別にお話を振ってくださる役者のお仕事もやらせていただいておりますので、芝居の訓練も続けております。

近々、某お薬のドラマCMをやらせていただきますので解禁したら重ねてご報告しますね。

家族のことや友人のこと、さすがに50年生きていたらいろんなことが複雑に組み合わさって。

思いもしないところから思いもしない方向へと人生をシフトすることに驚きを隠せません。

こういう浮き草みたいな家業を長くやっておりますので、あっちへフラフラこっちへフラフラって振り回されることには耐性ができておりますので大丈夫。

そんな不思議な自分を楽しんでおります。

るるるららー、人生って本当に不思議なものなのねー、あああーーーるるるららー(そんな歌ねえ)

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125ccスクーター、完璧に死にました。

ごまかしも何も通用しない。

エンジンは元気なのに。

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筋肉や骨は丈夫、心臓も大丈夫、なのに頭がやられてる…ううう、ハーネス一式取り替えて組み直さないと動かない状態ですね。

どこで断線しててどこが生きてて…ってそんなのを繰り返すのはもう無理、諦めます。

今までセルモーターやオルタネーター、コード類を何回取り替えてきたか。

そのたびに手をグシグシにして。

ずいぶんと愛は注いだのでもう引退してもらうことに決めました。

お疲れ様、キムコちゃん。

次の子は安心の日本製を注文しました。

ふう。


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家の中の一部屋を作業スペースにしなきゃらならないので、断捨離を遂行。

泣く泣く手放したのは27~28歳くらいの時に買った、超本格電動バギー。

プロポも買って、ショックを換装し、モーターやギヤも強力なのに変えて。

まるで愛車をいじるかのように心血を注いだ…そんなラジコンハマり期がありました。

敢えて2WDでドリフトを楽しみながら走らせたものです。

カラーリングも自分で考えて、こりゃ偉いものにハマってしまったな…と思い込んでいたのですがそれも半年くらいで終わってしまいました。

なんとなく捨てられずに置いていたのですが、すべて一式のパーツをどんがらガッシャン!と。

はああ、捨てるとなると愛おしさが蘇ってくるんですね。

もう一度…今度作ったときは犬に追いかけさせて遊ぼうと思います。

さらばダイナスター!

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久しぶりに筒井さんとお仕事をさせてもらって。

うんうん、安定の面白さ。

心地よすぎて何も考えなくてもどんどん台詞が出てきます。

こりゃ本格的な芝居でも作らなきゃいけないわねー…って。

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皆様におかれましては風邪など引かれませぬよう…。

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オカンと俺の備忘録。



忙しなく岡山(実家)と東京を行ったり来たり。

先だっての番組でも話をさせていただいたんですがね。

私は公の場では楽しくて皆さんがハッピーになること限定でおしゃべりや文章を出していこうと決めておりました。

以前は飼っていた犬を胸に抱きながら殺す羽目になった、泣きまくったよって話を書いたりもしましたが、ここ数年はしっかりと心に決めているつもりでした。


ですが、今回はちょっと自分のために、今後のために書き遺しておきたいと思ったことがありまして。

完全に自分の中だけの話ですがブログにします。

そして、まだ経験されてない方の、もしかしたら少しでもお役に立てるなら<その時>のために。


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世間ではよくある話です。

私を(大きく)産んで育ててくれた母が壊れてしまったんですね。

アルツハイマーでした。

症状が見え始めてからはもう10年ほど経つんですが、ここ数年ではもうどうしようもないくらい進行してしまい、今夏からは更に加速してしまいまして。

離れて暮らす私は何もすることが出来ず、傍観しているだけでした。

ちょいちょい口出ししたり病院の世話をしたり。

何とかなると思っていたんですね。

つまり良くなる…もしくはこのまま普通に暮らせると。

甘かったです。

まず、側で介護をしていた父親に限界が訪れました。

二人、昭和初期に生まれた老夫婦です。

母を車いすに乗せたり入浴させたり、トイレの世話から食事まで、体力自慢の父でしたが限界がありました。

実は何度もケアしてもらえる体制を整えようとしましたが、まだまだ世話は出来ると頑張っていたのです。

母はプライドの高い女性です。

というか、この時代の生まれの方は皆さん同じようですが、



「私はな、頭だけはしっかりしてる。 先生も太鼓判押してくれてるわ。 
奥さんがボケとったら世の中の人は皆痴呆症やわって言われてるんや!」


京都の女で、周囲の反対を押し切り駆け落ちで岡山に嫁いできましたので誰も助けてくれる人がいません。

ずいぶんな苦労を重ね、本当に寝食を忘れて働き続けたようです。

戦争で飯を食えない時代を過ごした人ですので根性は据わってます。

父と二人、一文無しから小さな会社を作り、トラックの買えない二人はリヤカーを押しながら商売を始めました。



「会社始めた頃はお茶碗も買うことが出来んで、ガス釜のフタにご飯をよそって二人で食べたもんよ! それが私ら爪に火を灯して頑張ったからアンタら二人とも東京に行かせてやれたんや!」



が口癖でした。

父と一緒に激動の昭和を戦ってきた、守り続けてきた、という自負がものすごいんですね。

くどいようですがそりゃ本当によく働く女性でしたから。

厳しいし感情的だし、口は達者だし…でも底抜けに明るい天然なので商売に向いていたんでしょうね。

ガキの頃は毎日朝から晩まであまりにも遠慮無くぶん殴られるので、密かに



「オカンは人間じゃねえ、ありゃあメスゴリラじゃ!」



と兄弟二人罵っていたものです。



その母もここ数年足腰が弱まり、杖をついて歩くようになりました。

そこからは一気に進行したように思います。

一度転んで背骨を折りました。

すると数ヶ月もしないうちに車いす生活です。

アルツハイマーの症状はどんどん加速していきます。

表情からは見分けがつきにくいんですね。

普通の目、メスゴリラが怒るいつもの表情と口元で10秒前のことを忘れています。

しかも新鮮に、初めて聞くように同じことを質問してきます。


「この子、名前なんて言うん?」

「幸ノ助。」

「へー、可愛いなあ。…なあ、名前教えて!」

「幸ノ助。」

「賢そうな顔した犬やなあ、名前呼びたいねん、教えてくれるか?」

「幸ノ助。」



最近は父親のことも忘れる瞬間があります。



「この方がな、私の会社を守って下さってるんやて。」



一瞬で元に戻ったり、余所に行ってしまったり。

全て彼女の頭の中では本気で真実なんですね。

いろんな見知らぬ人が家の中を徘徊したり、風呂の中に隠れていたりアルソックをかいくぐって家に入ってくる人もいる。

冷蔵庫からは毎日いろんなものが盗まれて、タンスの中も。




「あんたぁ(私)、隣の部屋の人がな、私を庇ってくれるんよ。 お父さんが大きい声で私を怒鳴るからな、『ええ加減にしとき! そんなにがみがみ怒鳴ったら奥さん怖がるやろ。』って。優しい人もいてるわ。」


勿論実家には父の他には誰も住んでませんので妄想なんですがね、母にとっては目に見えている事実なんですね。

どこかのケアハウスに入った方がいいって言う会話を聞いていて、混乱しているようです。



「そうかー、そらよかったな。 またすぐそっちに帰るからちょっと待っててな。」



私、最初からこういう優しい言葉が返せたわけではありません。

馬鹿なことを言っている母に怒声を浴びせました。

しっかりしろよ、意味の分からないことを言うな!のオンパレードです。



「あんたあ、お母さんな、もう訳が分からんで死んでしまいたいねん…どうしよー…。」


って電話が増えた時も、


「ええ加減にさらせよ! そんなことばっかり言っとったら本気で罰が当たって死んでまうぞ! 考えてものを言え!」


何も考えず罵詈雑言浴びせていました。




ある時。

今のままではダメだと、緊急性を要することが起こりました。

介護をしていた父の<心>にも限界が訪れたんです。

身体だけじゃなくて。

何か策を講じなければ事件に発展してしまいます、間違いなく的な。


本人不在のまま、勝手にいろんな形を模索しはじめました。

医者との話や施設との折衝…あらゆるプロの方の意見や専門医、はたまた諸先輩のお話を伺って。



そして決めました。

母を転居させます。

そうしなきゃ残された者も崩壊する、だからこれしか道はないと言い聞かせて準備しました。

良いことだ、母も皆も救われる、そう信じて。

本人は何も知らないまま。




母にとってその日は突然やってきました。

父、母、私、弟、久々に家族揃って晩飯を食いました。

私がステーキを焼いて。

そして他愛も無い話をし、普通に眠りました。

そう、特別な空気は一切出さないで。



翌朝、いつものように母はトーストを食べてコーヒーを飲み、歯を磨いてました。

車いす姿を除けば実家に帰ると見られるいつもの光景です。

リビングに戻ってきたところで私が口を開きました。



「さ、そろそろタクシー呼ぼうか。」


連れ出します。

母はもう二度とこの家には戻りません。

暮らし納め、見納めです。

特別な意識をさせたら柱にしがみついてでも動かないでしょう。



「何? どこへ行くん?」


「ほら、前から言ってた所。 オカンも一回見学に行ったろ? わあ、綺麗なとこやねーって言ってたじゃん。 あそこよ。」




超普通に喋ります。


しかし母の顔はいきなり曇ります。



「イヤや、まだそんなん行かんで! …私まだお化粧もしてないし部屋着のままやし…靴下も履いてへんもん!」



見学に行ったのは事実ですが、良からぬ雰囲気を察してか行ったことがあるという記憶を呼び出せません。

だんだん泣き声になり、辛そうな嗚咽に変わっていきます。

辛い。

けど、仕方が無い、これが最良なのだと再度言い聞かせます。



「ほら、靴下を履きんさい。」



と、父が車いすに乗った母に履かせてやります。

すると目先が変わるからか、



「もう、へたくそやなあ、自分で履くからええわ。」



壊れていることが助かると感じる時はこういうときです。

涙は止まり、思うように動かない指でソックスを一生懸命履いています。

車いすを押して静かに玄関を出ます。

振り返ることはありません、すぐに戻ると思っているんですから。

私と弟は着替えの詰まったダンボール、細々した日用品を積んだ家の車で後に続きます。

よいしょ!と母を持ち上げてタクシーに乗せる時、とても不安そうな顔で



「あんた、一緒に来てな…。」


「うん、すぐ後ろをぴったりと着いていくから大丈夫よ。」



自分の置かれている立場や、状態はさっぱり分かっていないと思いますが、不安なことだけはヒシと感じているようです。

当たり前ですね…。



30分ほどで施設に到着し、用意されていた新しい部屋に入りました。

この施設は完成してまだ一年経っていない、とても綺麗な建物です。

ラウンジにはピアノが置かれ、来客用のスペースも日が燦々と当たり、フカフカの絨毯が敷き詰めてあります。

早速お世話をして下さる方が代わる代わる挨拶に出向いてくれました。

母は何のことか分からないようでキョトンとしています。


「なんかねー、朝起きたらいきなり連れてこられてねー。 びっくりしてるんですよ-。 何なんでしょうねー!」


と来る人来る人に笑いながら説明をしています。



「このような施設にいらっしゃる方で、ご自分で納得されてくる方はほぼいません。
じゃあね! と手を振って明るくお帰りになることは難しいです。お辛いでしょうが何も言わずそっとお帰りいただくのが賢明かと。」



このような説明は何カ所からも聞いていましたし、諸先輩方にも聞いておりました。

ですからそのように頑張るのみです。

母の部屋のセッティングを終え、普通の時間を過ごした後晩飯の時間がやってきました。

そのときに私たち三人は消えることにしています。

しかし、私たちが乗ろうとするエレベーターの、すぐ脇のラウンジで食事が始まりました。

帰宅する姿が丸見えです。

必ず呼び止められます、一緒に帰りたいと。

私は何事もなかったかのように母の隣に立ち、



「うっわー、オカン、美味しそうな食事やなー! 豪華やな-!」



オカンの顔のすぐ近くに私の顔を寄せました。

その間に後ろ手に合図を送り、二人をエレベーターに乗せます。


ヘルパーさんがお茶を運んでくれました。

母はそのヘルパーさんに、



「私、ちょっと部屋に戻らなアカンのです。 忘れ物して…お父さんにちょっとアレしてもらおうって…。えっと言うのを忘れてたことがあって…。」



怯えた目、泣き出しそうなほど不安表情、ものすごい恐怖を感じています。



「妹尾さん、このお時間で食事をしていただかないとこのあとすぐにお薬も飲まなきゃならないんでね、用事は後にしてもらえますか?」


ヘルパーさんがストップをかけました。

その瞬間ですね、母はしっかりしていた昔の顔に戻りました。

そして、顔を近づけている私の目をじっと見詰め、か細い声を絞り出してこう言いました。



「…あんたぁ、何で私、こんな酷い仕打ちをされなアカンの?」



目に涙をためて…赤ん坊のような、助けて欲しくてたまらない、崩れ落ちてしまいそうな目。

実の息子に懇願してます。

…なんて酷い。

どんだけむごたらしいのか。



抱きしめて、



「オカン、ごめんな、ウソウソ。 な、帰ろ、うん、帰ろ!」



と喉から飛び出しそうでした。



でもでも、そうしませんでした。

また元通り、違う意味での苦しみが待っているのは知っていますから。

おそらくもっと酷い未来が待っているんです。

それが正解か不正解かなんて私には分かりません。

子供として、人として、そして心情的には百万%不正解です。



一緒に暮らしてやることも出来ない、親に対して随分な仕打ちだと。

罰当たりです。

汚物まみれになってっでも朝から夜まで世話をしてやればいいのに。

生活があるから、仕事があるから、家族があるから一緒にいてやれない?

介護できない?

産んでくれた人なのに?


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この日の昼間、こんな会話があったのを思い出しました。



「オカン…俺な、あんたの息子よ。 貴方が俺を産んでくれたんよ。」



暫し私を見つめ、クククと軽やかな笑顔になりこう言いました。



「またまた、この人面白いこと言うなあ、そんな訳ないやん。 傑作やな!(ゲラゲラゲラ)何を言うてんねん!!
…で、あなたは自営業をされているん? 大変やなあー、立派やなー、頑張ってねぇ。」



1日のうちに起こったパニックが大きすぎて、過去最大の混乱が起こっているようでした。

流石に子供の記憶を失ったことは今までに一度も無かったので。

これね、



「ここまで壊れてしまったんだから、もう仕方が無い。 選択肢は間違っていない。」



っていう免罪符に思えてきたりしてね…。

クソみたいな自己弁護だろうね。

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家に戻って。

賑やかで煩すぎる母の声はどこからも聞こえて来ず。

ぽっかりと大きな穴の空いたような空間で食事の味も分からずビールも喉を通らない。


早々に寝ようと準備するものの、母からの携帯電話が鳴り響きます。

私、弟、父、実家…順番に何度も何度も。

生まれて80年以上一人暮らしの経験の無い母です。

私たちの声を聞かせることは酷だろうと判断し、また施設の方の勧めもあり、電話に出ないでそっと息を潜めます。

心を鬼にしよう、鬼になろう、オカンの方が何倍も辛いんだから。

留守番電話に入った母の声を後で聞くのですが、胸が痛くて言葉になりません。



願わくば…今のこの辛さも忘れてしまいますように…。

オカン、ごめんな、こんなんしか出来なくて。

心から感謝してるのに。

楽ちんなところに母を置き去りにする愚息。

「杜子春」にはなれなかった馬鹿息子です。

メスゴリラでよかったんだけどなー。

オカンの残りの人生、俺のことが分からんでも最大の感謝で見詰めてあげたいんです。

遅いっちゅうの。

自分の馬鹿さと戒めと、ずっと反省しろっていう…そして有り難うを忘れるなって言う、そんな備忘録にします。

実家家族4人2017-10-01












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プラトンとぴゅんぴゅん丸が懐かし


大変ご無沙汰をしております。




世間では優秀な頭脳をお持ちの緑のおばちゃんが新党を立ち上げて世間を賑わせておりますが。

色んなところからワサワサ集まって一つのチームができる様は、楽天イーグルスの立ち上げ時に被って見えてしまいました。




前々から私の持論として、セージカという職業の方は


「ワシの屍を乗り越えて行け!」


という迫力と気概、多くを救うという超正義感の持ち主にやっていただきたいと思っております。

流行の不倫なんかも昔は(英雄色を好む)なんていわれたりして一笑に付していた時代もありました。

肯定じゃありませんが、それにあまりあるほどの働き、世の人々のために尽力していれば誰も文句を言わんのではないかと。

ま、ね、今の時代そういうことを言っていたらアレなんでしょうけどね。

さしずめ私なんぞは虐待両親の元に育ち、学校では暴力主義の教育を受け、それを他人に押しつける最悪の人間でございます。

今後100年過ぎて、また時代がどう変わっていくのか。

美しくて正しいものの定義がどんどん変化していくので就いていくのに必死ですし、何ならついて行けてません…うう。


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またしても今年、懇意にさせていただいている方から北海道のシャケをいただきました!

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やったね!!

昨年もいただきまして、大量のイクラを醤油漬けにして楽しんだものでございます。

さて、今年のシャケは…とぱかっと腹を割ってみましたら!!
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ブッブー、外れ…元気な男の子でした。

それでもその辺で売っているシャケとは大違いのめちゃ旨極上サーモンです。

様々なお味で楽しませていただきたいと思います。

いやいや、でっかいから食いでがありますぞ。

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実を言いますと、今年に入りまして、実家(岡山県)との行き来が増えておりまして。

まあ楽しい話ではないですし、ちょっとネガなコトなので詳細は避けますが、私自身がいろいろと選択を迫られたり大きな節目を迎えているんだろうなと…そういう思いが大量に噴出してきまして。

いろいろと頑張っていかんといかんねー的な思考に陥りました。

今までみたいに、好きだからっていう理由だけで霞を喰って生活していくわけにも行かないんですね。

30年以上役者をやらせていただいているので、その辺のギリギリ感といいますか迷いや逡巡との戦いは死ぬほどやってきました。

めっちゃ多くの廃業する人たちを見届けました。

これ、当然正しい答えないですから各人の判断が一番正解です。

私の場合はでっかい壁に突き当たって、ちょっとずつ段舎利していったんです、心の。

で、自分をコーナーに追い込んでみました。

マッパになって考える、その方が進む道が見えてくるんですね。

うん、何とか理解できそうな感じになってきました。

ボクがんばる!


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懇意にしてる監督からオファーをいただきまして。

かなりの融通を聞いてもらえて某作品に出演させていただきました。

むむう…演出がきめ細やかで現場での戦いがとっても楽しかったですわ。

これ、簡単に言うと難しいってコトですね。

これだけの尺の中に、●と△と■と★をねじ込んで、しかも説明くさくない芝居…って一つずつ整理してこなすと話にならんので、空気を頭にたたき込んでその人間になる、みたいな。

台詞を言っている感触ってあんまり無くて、普通に俺が喋っている感覚。

そういうね、役者ーズハイに持って行ってくれる監督なんですわ。

ああ、きついけど楽しかった!

この作品で、東京の東の方の河川敷を使いました。

昔3年B組の人たちがロン毛の先生に教わっていた辺りです。

ここで、35~65才くらいまでのことをやっていたのですが、他の人が撮影中、テントでお茶を飲んでおりましたら


「あれ!?妹尾さん!!!」


ってめっちゃ透明でよく通る男の声が。

誰?って顔を上げてみましたら…昔一緒に芝居をしていた古堅クンではありませんか!

一緒にと言いましても私は演出の立場だったのですが、沖縄出身の古堅くんことプラトン君。

あまりにも素敵なセンスをしている子だったので、デビューでいきなり主役に抜擢しました。

とある演劇祭に出品する大切な作品だったのですが、思い切ってやってみましたさ。

稽古は当然めちゃくちゃきついものになりましたが、彼は必死に頑張ってくれて。

そんでもってその演劇祭、優勝することが出来たんですね!

たくさんのお客様に喜んでもらうことができたんですよ。

いやいやいや、本当に凄い才能の持ち主でしたし、なんと言ってもその


「なんくるないさ~!」


的な朗らかな人柄。

私もぞっこんでした。

そんな彼と7年ぶりの再会。

イヤー、偶然って凄いなーって。

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(今プラトンはトライアスロンに夢中で、その練習中だったとか。すご!)

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優勝作品、主演のプラトン!

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これは先日の作品、おじいちゃんからの…

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1980年代の… 

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これは90年頃かしら、きっと。

ナニカのドラマに出ているのを見つけて下さった方がいました。

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これはクソガキの頃にみていたぴゅんぴゅん丸…みたいなーと思っていたらCSで。

40数年ぶりに観た!

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あとは…BBQやりましたね、仲良しやお世話になった人ごちゃ混ぜで。

雨天(台風18号)、その日だけピンポイントで土砂降り。

雨天上等!でやってやりましたさ。

それはそれで結構盛り上がって、不思議な思いで作りになったと…9割ウソだろうけど皆さんおっしゃって下さいました。

終わりよければ全てよし、ちゃんちゃん!
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清水君、下村君、ジバン所(蒸発名人)。

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鈴村監督、あおいちゃん!

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将軍夫妻、稽古終わりに駆けつけてくれたジライヤ筒井さん!

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「ゲキ塾。」役者、近所の奥様、バリバリ凄腕女社長!


よーし、来年は雨漏りしない新しいタープテントを買うぞ!